溶けるヒトヨタケの話(前編)
ヒトヨタケの名前について
「ヒトヨタケは溶けるキノコなんです」と教えてもらったのはキノコの観察会に入って間もなくの頃。
説明するために手に持たれたそのキノコの姿を見て、誰もが不思議に思うことある。
「これが一夜で溶けてしまうのか・・・?」ということ。
1960年8月。このキノコは川村清一博士によって「ヒトヨタケ(一夜茸)」という和名が付けられた。
名前の由来は「一夜で溶けてしまうキノコ」であることから、だと推測できる。
ただし巷で言われているような「一夜で溶ける」というのは間違いである。
特に無印の「ヒトヨタケ」に限っては成菌になってからでもかなり長い間その姿をとどめている。
もちろん川村博士もその事はご存じだったでしょうから「一夜」というのは「短い命」の文学的な表現としてそのように命名したと考えるのが妥当である。
古来日本では「九十九折り(つづらおり)」「八百万の神(やおよろずのかみ)」など、数に関しては正確ではないものの、その数の多さを表す表現として「九十九」や「八百万」が使われることがあり「一夜」もそれらの表現と同じような使われ方をしているのだと思われます。
「一夜限りの・・・」という言葉の響きは切なくそして儚い。ヒトヨタケという言葉もそんな儚げな印象を我々に与えてくれます。その言葉の源泉は自分自身を溶かしてしまうという「潔さ」なのか、溶けて流れている「虚しさ」なのか、どちらにせよ「滅びの美学」を体現していると言っていいかもしれません。多くのキノコファンがこのヒトヨタケを愛してやまないのは、そんな美学に心を惹かれてしまうのでしょう。
ヒトヨタケじゃないヒトヨタケがある
ヒトヨタケと名前が付いているのにヒトヨタケではなくなった、というキノコがあります。
どういうことなのでしょうか?
そこでまずヒトヨタケについて知るために「原色日本新菌類図鑑」でヒトヨタケ科ヒトヨタケ属について記載されている特徴を調べてみましょう。
1.胞子紋は黒または黒褐色。平滑、まれにいぼにおおわれ、 発芽孔をそなえる。
「原色日本新菌類図鑑」今関六也・本郷次雄編集、保育社
2.胞子はひだの下方から上方へとしだいに成熟する。
3.多くの種類では成熟部分からひだが液化しはじめる。
4.ひだは直生~上生し, 断面において両側平行である。
5.傘の上表皮層は細胞状。
6.通常菌糸にはクランプがある。
7.糞、植物、遺体、腐植、焼けあとなどに発生する。
この中で特に属の判別として重要なのが1,2,3,4であろう。
この4つの特徴を持っていれば、ヒトヨタケ属であることを疑って良いかと思います、、、昔は。
その定義が大きく変わったのがDNAでの分類が持ち込まれて来てからのこと。
形態重視での分類からDNAでの解析を加味された同定、分類へと変化してきたのである。
そしてその中で一番ポジションが変わったのがササクレヒトヨタケである。
ササクレヒトヨタケは「コプリーヌ」と呼ばれ、食用として栽培もされているキノコである。
この写真(Fig.2)の様に傘が閉じた状態がとても特徴的で、食用として使われるのもこの状態のものが最も適しているようである。
傘が開いてくると直ぐに傘の周辺から溶け始め、やがて傘全体があっという間に溶けてしまいます。
このササクレヒトヨタケがDNA鑑定により、ヒトヨタケ科からなんとハラタケ科に移されたのですね。
属が分割されるのは良くある話ですが、一つのキノコが既存の科に移されるというのはなかなか衝撃的なものがあります。
つまりササクレヒトヨタケは形態的にはヒトヨタケの仲間と類似はするものの、系統的にはまったく別のところから同じような形態を持つようになった、いわゆる「他人の空似」のキノコだったのです。
これを「収斂進化」といい、サメ(魚類)とイルカ(哺乳類)が同じような進化を経て形態が似てきたのと同じですね。
キノコは生活環境の変化や敵のいない場所に適応するため、あるいはいかに自分の子孫を多く残すのかというために自分自身の姿を多様に変化させてきました。このササクレヒトヨタケとヒトヨタケは別々の先祖を持ちながらも進化の過程で「溶けた方がより多くの子孫を残すことが出来た」のでしょう。その残ったであろう「溶ける性質をもった子孫」たちがその後も似たような進化を続け今のササクレヒトヨタケとヒトヨタケを形づくったのだと思われます。
溶けないヒトヨタケとヒトヨタケ属
ヒトヨタケの仲間を見ていると「これ本当に溶けるんだろうか?」というものに出会う。
例えば傘の条溝線が美しいヒメヒガサヒトヨタケ(Fig.3)。
このキノコは他のヒトヨタケの仲間のように成長すると溶けて液化していくという状態を見たことがない。
もしかしてヒトヨタケの仲間にも溶けないものがあるのかな?
また、溶けないヒトヨタケはヒトヨタケとは別の属なのでは?
と思って調べてみると最新の分類ではすっかり属が分かれているんですね、実はあまり気にしていませんでしたが、改めてここで整理してみます。
ちなみに以前(原色日本新菌類図鑑での記載)は全てヒトヨタケ属(Coprinus)に含まれていましたが、現在は以下の3つに分かれているようです(Fig.4)。
新属名 | 和名 | 属名 |
Coprinellus(キララタケ属) | イヌセンボンタケ | Coprinellus disseminatus |
キララタケ | Coprinellus micaceus | |
コキララタケ | Coprinellus domesticus | |
Parasola (ヒメヒガサヒトヨタケ属) | コツブヒメヒガサヒトヨタケ | Parasola leiocephala |
ヒメヒガサヒトヨタケ | Parasola plicatilis | |
Coprinopsis(ヒメヒトヨタケ属) | ヒトヨタケ | Coprinopsis atramentaria |
ネナガノヒトヨタケ | Coprinopsis radiata | |
アシボソヒトヨタケ | Coprinopsis acuminata | |
ウシグソヒトヨタケ | Coprinopsis cinerea | |
クズヒトヨタケ | Coprinopsis patouillardii | |
マルミザラエノヒトヨタケ | Coprinopsis lagopides | |
ホソネヒトヨタケ | Coprinopsis strossmayeri | |
マグソヒトヨタケ | Coprinus sterquilinus | |
ミヤマザラミノヒトヨタケ | Coprinopsis insignis | |
ザラミノヒトヨタケ | Coprinopsis phlyctidospora | |
コツブザラエノヒトヨタケ | Coprinopsis neolagopus |
Fig.4 旧ヒトヨタケ属(Coprinos)の新属
ここにあるものは図鑑に載っているものやネット上で見かけるヒトヨタケの仲間たちを集めてみました。
Coprinopsis(ヒメヒトヨタケ属)が圧倒的に多いのですが、これが一体どういう特徴よって分類されたのか、というところまではここでは追及はしませんが、溶ける、溶けないが属を分ける分岐点になったのでは無さそう、と言うのがわかります。
例えばCoprinellus(キララタケ属)に属するイヌセンボンタケは老化すると共にかなり溶けているのを良く見ます(Fig.5)。
また同じCoprinellus(キララタケ属)でもコキララタケなどは意外にしっかりした傘をしていてあまり溶けそうな印象はありません(Fig.6)。
また一番大きなグループであるCoprinopsis(ヒメヒトヨタケ属)の中で代表的なヒトヨタケは溶けて液化することが知られていますが(Fig.7)、ザラエノヒトヨタケ(広義)やクズヒトヨタケなど透明感があるきのこなどは萎れる感じはあっても溶けるということはなさそうです(Fig.8)。
同じ属の中でも溶ける、溶けないものが含まれているということで「溶けて液化する」という特徴は属を分ける要素ではない、というのが分かりました。
ではどういうヒトヨタケの仲間が溶けないのでしょうか?
<後編に続く>
【参考】
本郷次雄(1987) ヒトヨタケ属 in 今関六也・本郷次雄
編著 原色日本新菌類図鑑(ⅰ). p. 162. 保育社, 大阪.
本郷次雄 (2011) ヒトヨタケ属(広義) in 今関六也・大谷芳雄・本郷次雄
編著 山渓カラー名鑑 日本のきのこ 増補改定新版. p. 200. 山と渓谷社, 東京.
池田良幸(2013)コキララタケ in 池田良幸・本郷次雄
編著 新版 北陸のきのこ図鑑. p.89. 橋本確文堂,石川.
DJ Schafer(2010). Keys to sections of Parasola, Coprinellus, Coprinopsis and Coprinus in Britain. Field Mycology.
中島淳志(2022). 大菌輪 https://mycoscouter.coolblog.jp/daikinrin/
大作晃一(2022). 「Wonderful Fungi」 in NHKワールド
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/special/episode/202210190930/
筑波大学山岳科学センター(2021). 「ササクレヒトヨタケの形状変化 溶解」 in Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=cKmlS9VjhaE