「このきのこ食べられますか?」

はじめに断っておく。

わたしは、「野外で見つけた美味しそうきのこはどんどん食べよう!」
なんて言うつもりは毛頭ない。

名前のわからないきのこを “美味しそう!食べてみよう!” なんていう行為は、
道端に茂っている雑草を、

なんだかわからないけどなんか美味しそうだよ!

とモシャモシャと食べちゃうのと同じ行為であり、わたしにはまったく理解できない。

ただ、時折、ネットで
「このきのこ食べられますか?」という質問に対する
冷たい反応をみると、ちくちく心を痛めているひとりである。

たびたび行われるきのこゼミの観察会で、
ゼミ生がきのこを見つけると、
「このきのこはキンコンキンで、〇〇科〇〇属でこんな特徴が・・・」なんて
ちょっとムズカシイ解説が先生によりはじまるのだが、
そんな解説が始まると、なぜか水を打ったように静かになるときがある。

そんな時、わたしは元気よく手を挙げて、こういう。

「それで、このきのこは食べられますか?」

すると、また、参加しているゼミ生たちの目が輝きだす。

先生は、少し困った様子で少し考えてから、
「1度だけなら、食べることは出来ます。」と答える。

別に 食べたいわけぢゃない、ただ、知りたいのだ。

そして、きのこを発見した喜びをみんなと分かち合いたいだけなのだ。

梅園も悩ませた??きのこってつかみどろこのない生き物?

毛利梅園(1798-1851)を知ってるだろうか?

いわゆる江戸時代の“理系”武士だ。

さまざまな身の回りの生物をこよなく愛し、それを実写して現世に残している。

梅園の図譜を眺めていると、
梅園は美術的な価値の追求というより
その生物の本質を伝えようとしているということを、うかがい知ることが出来る。

まずは、植物画を見てみよう。

国会図書館デジタルコレクション「梅園草木花譜春之部. 1」より(保護期間満了)

次は、同じ梅園の描く「きのこの画」を見比べてもらいたい。

国会図書館デジタルコレクション「梅園菌譜」より(保護期間満了)

どうだろう?

なんとなく、きのこ画のほうが、“しょぼい” 気がするのはわたしだけだろうか?

たしかに、サクラは実際に見た目も麗しく美しい。

でもさでもさ、

きのこだって、きのこだって、サクラに負けず、麗しく可愛いではないか!

なのに、なにこのしょぼさはなんなんだ・・!!

それにさ、
ヒダだとか、傘の感じとか、質感だとか
特徴的なものはいくつもあるぢゃぁぁぁぁないか!!

なぜ、きのこを伝えようとすると
こんなにしょぼくなってしまうのだろう。

もしかしたら、
きのこは、なんとなくつかみどころのない生物で、
もっと伝えたくても、どこをどう捉えたらいいのかイマイチわからないのではないだろうか?

それは、裏を返せば、”知る” ことにも通じる。

なんとなく、あの人ってつかみどころがないのよね・・・なんていう人が
きっと周りにひとりはいるだろう、それと同じで、
きのこってミステリアスでなんとなく捉えようがない生き物といえるのでないだろうか?

だから,きのこをもっとよく知りたいと思っても,
なにをどう聞いていいのかわからない・・・
そんなことはないだろうか??

きのこを知ることは人類の未来を豊かにすること

桜の葉の塩漬けにしたものを、桜餅なんかで食べたことがある方も多いだろう。

しかし、サクラを鑑賞して、
「この葉っぱ、めちゃくちゃ美味しそう!」なんていう人は皆無だろう。

なぜ、「このサクラは食べられますか?」と質問が出ないのだろう?

きのこ🍄とサクラの違いは何だろう?

わたしは、ずっとこの疑問について考えてきた。

そうして、ようやくひとつの仮説にたどりついた。

きのこ🍄とサクラ🌸、
人間社会に対する存在意義がそもそも異なるのではないか?

人間社会に対する存在意義は実に重要である。

きのこ好きなら「原色新菌類図鑑」を所有している人は多いと思うが
その巻末まで読みこんでいる、という人は少ないかもしれない。

(もちろん、わたしは隅々まで読み込んでいる。)

1巻の巻末「きのこそして菌を学ぶ心」にこう書いてある。

基礎生物学は、(中略)人類の今後の生活を保障するための諸条件を明らかにして、これを確保する

原色日本新菌類誌(1)p257

そして、

筆者 (今関六也 先生) の結論は、生物学は生活学である。

と断言している。

わたしはこの章を読んだ時、雷に打たれたような感動と感銘を受けた。

きのこの生態をより詳しく知り、学術的にその知見を活かすことが出来れば、
われわれ人類の未来を豊かなものにするであろう、そういうことなのだ。

きのこは、人類のためにある。

きのこの価値とはなんだろう

それでは、きのこの価値はなんだろう?

きのこ好きなら是非ともコレクションに加えるべきであろう、

「Fungal Famimlies of the World」

この本にその答えを見つけることができる。

この本には、学術的に認められている菌類のFamiliy(科)について、
詳細な生物形態の定義、下位分類にある重要な属名、既知の生息分布、
生態学的な見解、注釈、主要参考文献などが小さい字でびっしりと記載してある。

注目していただきたいのが、

その項目の中に

「Economic Significance」(直訳:経済的意義) があること!

英語だが、読んでみるとすごく興味深いことがたくさん書いてある。
きのこの勉強をしている人は、ぜったいに持っていて損はない!!

たとえば、
Boletaceae(イグチ科)をみてみよう。

Economic Significance:
Some are edible and highly prized, while other are dangerously toxic.
The cep is the edible boletus edulis(‘fungi suilli’of Pliny and other classical writers),
a major commercial crop, all of which is collected from the wild.
経済的意義:
食用として珍重されているものもあれば、危険な毒性を持つものもある。
セップと呼ばれるイグチ(ヤマドリタケ)は食用であり、
主要な商業作物であり、そのすべては野生のものを採取しています。【林 意訳】

菌学者なら必ず所蔵しているだろうグローバルスタンダードなこの本にも

経済価値があるかどうか?人間社会にどれだけ貢献しているか?
きちんとそれが明記されている。

すなわち、きのこの価値は、
食べられるか?食べられないか?で、大きく左右されるのだ。

なにもきのこは、可愛い💛だけでないのだ!

これからは正々堂々と「このきのこ食べられますか?」と聞こう!

長々とクドクドと、まわりくどく粘っこく
ここまで話してきたが、

つまりは、

「このきのこは食べられますか?」という質問は、

実に、
理にかなった正しい質問であるといえる。

しかも、人類の未来にどれだけ貢献する可能性があるのか、
そんな人間社会の行く末まで考慮した、なんと素晴らしい質問であろうか。

そんな質問を投げかける人物は、
人類の未来にまで思いを馳せる そんな賢者だろうから、
「食べられます。」と聞いた途端、
しゃがみこんでキノコムシやらダニやら線虫やらお構いなしに採取をはじめ、
次なる質問が「どんな料理がおいしいですか?」なんてことは

まさか ないだろう。

いやいや、もしかしたら、誰かが食べられると言ったからといって
名前の知らないきのこを食べようなんて行為は、

よくわからないきのこを食することで
自分さえもが、これからの人類の未来のために貢献しようと、
すすんで人柱になろうとしているのかもしれない。

しかし、それはとても崇高な心構えではあるかもしれないけど
あまりにも人が良すぎる。

っていうか、ただの馬鹿だ。

きのこに、大事な自分の命を懸けるだけの価値はない。

(文責 C. Hayashi)

あとがき

ここまで書き上げ,意気揚々とイリササマに確認してもらったら
重大な事実が発覚した!

なんと!!以前にも同じようなタイトルで記事が出ているらしい・・・!

「このきのこ食べられますか?」というミステリアスな質問は
表現者であれば一度は惹きつけられるようだ.

わたしは,わけわからん”ガクジュツ”っぽい論で煙に巻く戦法に出たが,
さすが,イリササマ,正攻法に斬りこんでいる.

ぜひイリササマの記事も読んでみてほしい.

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