材割り、そこに愛はあるんか?

去年の暮、ホームの山を歩いていたらいつもの木が無残な姿を現していた。
「ついにここまで来たか・・・」
その場所にはその枯れ木と共に、太く、そして大きな木が伐倒されていくつか並べられているスポットで、いつも「何か良いキノコが出ていないかなぁ、、」と思って観察するのが楽しみだった場所である。
実際そこで見たものの中に初見のキノコがいくつかあったし、キノコが発生しやすい環境(湿度が適度にあって、直射日光が当たらない場所)だったのか、いつ見てもなにがしかのキノコが発生している木であった。

これをやった「犯人」は判っている。
個人まで特定したわけではないが、どういうカテゴリーに属している人間なのか、まではね。
これは「材割り」という行為で、冬の時期にこの様な古木や倒木、そして伐倒されて道の脇に放置されている枯れ木をナタなどで割って中にいるクワガタの幼虫を探し、材の中でゆっくり生活している幼虫たちを掘り起こして採って帰るのですな。
最初に書いておきますが、ここは大阪の生駒山系。生駒国定公園というエリアに属している。
そこで、材割りなどをする行為は「器物損壊罪」に当たり、立派な犯罪行為となります。
街を歩いていて、そこらにある店舗のショーウィンドウに石を投げて粉砕する、、なんてこととなんら変わらない行為なのです。
そこに人がいるか、いないか、の違い。
人がいなければ何をやっても構わない、、、ってわけないですよね?
そんな材割りは神戸の良く通っていたハイキング道の脇にあった倒木でも行われていたらしいし、菌友達やTwitterなどでもいくつもそんな報告が上がってきている。
ってことは最近特に材割りが増えてきているの?何故なの?
に対する答えがYoutubeにある。
「材割採集」で検索してみて欲しい。「冬の採集」と称して沢山の動画がアップされているのだ。
こういう類の動画はどうなんだろう?
もしかして動画の主たちが採集しているところは個人所有の土地で、土地所有者の許可を得てやっているかもしれないのだが、もしそうでなれけば、犯罪行為の証拠を自らアップしていることになる。
ましてや、この様な行為をアップすることにより、真似をしてくる人が沢山出てくるだろうし、真似をする人たちがモラルが高い人たちばかりだとは限らない。
最近あちこちで「材割りされた」という声が聞こえてきているのはモラルのない人たちによる仕業という何よりの証拠だと思うので、こういう動画自体をアップすること自体が極めてダークな行為だと考えていいでしょう。

材割りは「悪」か?
材割りに関してネットを検索していると「材割りは『悪』か?」という記事がヒットしたので読んでみた。
ご本人はクワガタマニアで記事中での意見としては
過度な材割りは良くないのだが、節度ある材割りは生物の生態への興味や知識への探求であることから、それを全て「悪」というのは違うのではないか?
という主張である。
ごもっともである。
キノコの研究であっても例えば京都大学名誉教授の相良先生が行われたナガエノスギタケの研究などはやはり自然破壊行為ではないかと思っている、特にモグラにとっては。
モグラの巣とナガエノスギタケの関係を知るためにスコップを使ってナガエノスギタケが発生している下の地面を掘ってナガエノスギタケがモグラの巣(正確にはモグラの巣の横にある便所)から偽根を通じて発生しているかどうかを調べるのである。
確かにモグラにとっては迷惑な話だし、自然環境にインパクトを与えているという点では良くないかもしれない。
しかしその研究からナガエノスギタケはモグラの巣の近くにある便所から発生していること、そしてナガエノスギタケがモグラの便所に溜まった有機物を分解して便所跡を浄化している、という世界が驚愕するような発見をされたのです。
これは人類が知り得なかった自然循環のシステムを解明した、という意味・意義において多少の自然環境へのインパクトは仕方ない、、と個人的には考えています。
なので、意義の大小はあれど
相良先生の研究と材割りによってクワガタの生態を知ることには違いはない
と思います。
「知る」という行為はその生き物や自然のメカニズムを理解するうえで最初に行わなければならないことだ、と考えているからです。
よって今のところは材割りに対して一概に「悪」と言うことは出来ないと考えています。
しかしこの記事を読んでいて少しだけ引っかかることがありました。
それは
クワガタ採り目線のみでこの記事が書かれているなぁ、、
ということです。
「倒木」や「伐採木」というのは、一般人から見たら「もう用済みの枯れ木」という風に見えるかもしれません。
枯れてしまって葉っぱが生えるわけでもないし、ましてや光合成をするわけでもない。
それはもう死んでしまっており、あとは燃やして燃料にするぐらいが関の山、、なんてね。
そういう思考しか持っていない人からすれば、倒木が破壊されようが、燃やされようが大したことではないでしょう。また「枯れ木も山の賑わい」という諺があるように、昔から「枯れ木」は価値のないもの、と考えられてきたのは間違いありません。
それから考えると皮肉にもクワガタ採りの人たちは枯れ木はクワガタの住処であり、それはただの「死んだ木」ではないということを「材割り」によってスポットライトを当て、その価値を世間に知らしめた立役者である、と言えるかもしれません。
しかしここで強調したいのは、枯れ木に住んでいるのはクワガタだけではない、ということです。
材割りによってオオクワガタがその個体数を大きく減らした。
なんて話もささやかれています。
それはまぁ、自業自得としか言いようがありません。
クワガタ採り同士でののしり合うだと、非難するなどして、何とか解決してくださいまし。
がしかし、先に述べたように枯れ木の中に住んでいるのはクワガタだけではありません。
もっと言うなら他の生き物との個体数を比較してもクワガタは単なる枯れ木団地の中に住まわせてもらっている少数住居人という立場でしかありません。そんな住居人を得るために団地をめちゃめちゃに破壊する行為しに対して、他の生き物目線から考えると、もうそれは暴挙であり、暴力行為としか言いようがないのですよね。
しかしクワガタしか見えてない人にはそれが分からない、、、間違いなく。
そんなクワガタクラスター達にそれぞれの生物からの目線で見た枯れ木とはどういうものか?というのをこんこんと説明してみましょう。ちゃんと読んでね。
植物目線から見えてくる枯れ木

最近は山を徘徊してコケの上に発生する緑色のチャワンタケを探している。
コケの大家であるF井さんがアップしたコケ写真に緑のチャワンタケが写っていたので、コケの種類を見てみるとアカウロコゴケという種。ではそのコケはどういうところに発生するのか、、と聞いたところ日当たりの良い平らな場所に生えているということ。
そこでそういう場所を重点的に探しているとまぁコケの多いこと多いこと。
そして生えている環境によってコケの種類が全然違ったりする。
いかに自分が「コケ」というものが見えていなかったんだなぁ、、と考えさせられた。
その中で注目したのが倒木の上に発生しているコケ。
もはや何の種類の木かは判別不可能ですが、伐倒されて長い間ハイキング道わきに放置されていた感じで元々の材の水分量も多いうえに、コケが纏わりつくことによっても材の水分量はかなり多めでした。
ですので、岩の上に張り付いているコケに比べてコケの湿り具合が数段高かったですね。
伐倒されて直ぐの材は、一時的に水分量は少なくなり、それをシグナルとして菌類が侵入してくることになるのであるが、分解が進んでいく水分量が増えて、逆に菌類たちにとっては居心地が悪くなっていくと共にコケの住みやすい環境になるのだと考えられます。
コケは石の上に生えたり、コンクリートの壁に生えたりと通常の樹木が生えないところにも根を広げて繁殖していきます。これはコケが自分自身で窒素固定バクテリアを「飼っている」からなのですね。
これは何が凄いかというと、通常植物というのは土の中に根を張ってそこから養分を吸い上げていきます。しかしコケはいわば地産地消といいますか、自力で養分を作り出すことが出来るので、土の中に根を延ばすなどの必要はなく、コンクリートの壁などに張り付いても生きていくことが出来るのです。
富士の樹海や阿寒湖周辺の土地を歩いていると、富士山や雄阿寒岳などの噴火によってその辺り一面が溶岩で覆いつくされていたんだなぁ、、ということが分かります。そんな大地にさえ耐えうることが出来たのがコケたちで、不毛だった大地にパイオニアとしてそこに入り込んでいく。コケが生えれば水分が一定に保たれるし土なども固定化され、そこに木々の種が落ち、芽が出て、やがてそれが大きく育ち、今の様な広大な樹海を産み出した、というわけなのです。
そんな森では古くなった木が枯れて倒木となり、倒木に付いたコケたちによってまた新しい命の循環が生まれているのです。
コケが付いた倒木は、いわば「森を作っている」と言えるかもしれません。

「倒木更新」という言葉をご存じでしょうか?
倒木の上に樹木の種が落ちて、そこから小さな木が芽吹き、木の養分を食料にして大きく育っていく、という自然現象のことです。
なぜこういう事が起こるのか?
以下のサイトからその利点を引用すると
参考:https://mlcmitsuhashi.co.jp/index.php/2021/10/29/nurselog/
- ササや植物に日光が遮られるのを防ぐ
- 雨の掘り起こしが起きない
- 土中の菌類から避難できる
- 倒木表面のコケが湿度を保つ
- 倒木が養分の供給源となる
これらの様なメリットがあるんですね。
まさに倒木様様ですね。
この阿寒湖の写真は1つの倒木に3種類もの樹木の幼木が生えている、という驚愕の写真です。
3種類の正体は
- 奥からハイマツ
- 手前がトドマツ
- 右がアカエゾマツ
となります。
ですので、倒木更新というのは同じ種類の倒木の上に同じ種類が発生する、というのではないのですね。
倒木更新という名前は知っていたものの、その実態までは詳しく知りませんでした。
樹木の種はたまたまそこに降り立っただけなのでしょうけど、他の地に舞い降りた種たちはまともにお日様が当たらなかったり、大きくなるための養分が足りなかったり、他の生き物に食べられてしまったりして次々に倒れていく中で、倒木の上に舞い降りた種は幸運にもここまで育つことが出来た、という感じなのでしょう。
自然というのはたまたま条件が良く、生き残ることが出来たものたちで形成されているのです。
ただし「条件」はいくつもの偶然が重なってはいるものの、何十年も積み重ねてきたメカニズムによって実に上手く稼働しているのだなぁ、、と思います。
特に今まで注目していなかった倒木更新は倒木がいかに次世代へ道を繋いでいるのかという「目に見える証」なんだといことが良く分かります。
いかがでしょう?倒木というもの植物にとってもただの「死んだ木」ではなく、次の世代を育む大きな役割を担っていることが分かってもらえたでしょうか?
粘菌目線から見えてくる枯れ木

粘菌族の人たちである。
まぁ、キノコの人たちも似たり寄ったりじゃないですかか?と粘菌族の人たちはきっと言うでしょう。
いやいや、ご冗談を、、とキノコ族の僕は軽くあしらう事でしょう。
だってね、、、
一緒にフィールドに行くと、キノコチームは時速500mで進んでいくのに対して粘菌チームは時速100m。
5倍もちゃいますもんね(笑)。
そりゃ、こんな感じでルーペ片手に倒木の隅から隅までわずか1mmにも満たないものを探してたんじゃそれぐらいの時間はかかってしまうのは無理のないこと。
粘菌チームはこうして阿寒湖周辺に来ているのにベニテングタケの姿も見ずに帰っていくのですよ!!
信じられます?
ましてや阿寒湖周辺の観光スポットやマリモなんかには目もくれず、「あそこに良い倒木がありますねぇ、、」なんて言いながら、ずっと倒木にへばりついてるんですから!!
と、粘菌族の話から始まってしまいましたが・・・
肝心の粘菌たちは普段どこにいるのかわかりますか?
この粘菌族の様子を見れば一目瞭然ですが、粘菌たちの主な住処は倒木なのです。
それもあまり直射日光が当たらない倒木の下や、樹皮の中などにいて主にバクテリアなどを食べて生活しているんですね。



粘菌はそもそも何なのか?と以前、川上先生に聞いたところ
「アメーバー状の単細胞生物です」
という答えが返ってきました。
てっきり菌類かと思っていた僕は、「単細胞生物」という言葉に大変驚いたものです。
単細胞生物が、こんな形に変わったり、子実体を作ったり、胞子を飛ばしたり、、、とどう考えてもそれ菌類やん、という生態をしているのです。
また、粘菌たちはキノコも食料としています。
写真を提供してくれた片岡さんは粘菌を飼育されていて、その粘菌(主にイタモジホコリ)にいろいろなものを食べさせて、粘菌がどの様な反応をするのか、という実験を日々行っておられます。
キノコなどは普通に食べちゃうのですが、毒を持っているキノコはどうかというと、例えばイボテングタケなどは普通に襲いかかって食べ始めたのですが、猛毒のアケボノドクツルタケのなどはその忌避成分のためなのか粘菌たちは襲いかかろうとしたものの最後は避けて食べませんでした。
とはいえ、やはりキノコは粘菌にとっては食料には間違いなく、自然界では良く粘菌がキノコを覆っているのが見られるそうですし、深澤さんの実験で窒素と炭素の安定同位体比を測定した結果粘菌はキノコ(特に腐生菌)を食べているということが証明されたそうです。
片岡さんに「なぜ粘菌はキノコを食べるのでしょう?」という質問をぶつけてみたところ、
キノコを食べることによって材を食べるのを妨害し、分解する速度を遅くしている
という説があるそうです。
バクテリアも材を分解するので、同じような事かもしれませんね。
材を分解する菌類。そしてその菌類を食べて分解速度を遅延させている粘菌。
どちらが自然にとって有意義なのかはわかりません。しかし自然というのはそんな微妙なバランスの上に成り立っている、という事なのですね。
さて、ここでもう一度、粘菌の「住処」についておさらいをする。
粘菌たちの主な住処は倒木の樹皮の表面や樹皮の中である。
アメーバー状なので、樹皮の中にも液体が染み入るように入っていけちゃいます。
樹皮の内側ではその中や表面に生息しているバクテリアや菌類たちを主食として生活を送っております。
そして、梅雨時期などの雨が多い時期に子実体を作り、胞子を拡散するのです。
つまり粘菌にとって倒木とは住処であり、子実体を作って未来へ子孫を残す場所でもあり、そこで生まれて育つゆりかごの様な所なのです。
そんな場所をナタで粉々に破壊することが粘菌とって「いてててて」で済ませられることでしょうか?
あなたの鉄の一振りが粘菌やバクテリア、そして菌類たちが作り上げた自然のバランスをも一網打尽にして破壊していることを、たとえ肉眼で見えなくっても想像はできるはずですよね。
キノコ目線から見えてくる枯れ木

「ナメコ」という存在は知っていたものの、ナメコは北陸などの日本海に面したところか、もしくはブナの原生林が残っているような山に行かないとお目にかかることは出来ない、と思っていた。
ところが今から10年前、滋賀のIさんから「いりささん、ナメコ採りにいかへん?」と声がかかった。どのあたりなんですか?と聞いたところ滋賀だという。そうかぁ、、滋賀にも出るんだなぁ、、と思ったのが発端である。
それからナメコは割と身近な存在になった。
であるから、その生態についてかなりじっくりと観察している。
ナメコは枯れて立っている木よりも、伐採されて道の脇などに横倒しにされているコナラの木などに発生することが多い。
これは木の水分量に関係するのだと思われます。
地面に接する面が広いと日光に当たる部分が減り、乾燥から守られることと地面から浸透してくる水分でもって一定の水分量が保たれているのでしょうね。
それとナメコが発生している木は材の分解途中のものが多い気がします。
特に重要なのが、まだ樹皮が残っている様なコナラの倒木から良く発生しています。
樹皮というのは菌類にとっては大切な居場所
だと考えています。
岩手県林業技術センターが「人為的に剥皮した原木からの子実体発生量について」という論文の中で樹皮が付いたままの榾木と樹皮を剥がした榾木でシイタケの発生量を比較したものがあります。結論としてはシイタケの子実体は榾木の樹皮部分から発生し、樹皮を剥がした部分からは発生しなかった、というものでした。
この研究は僕が見てきたナメコの発生状況と合致するもので、例えば子嚢菌のムラサキゴムタケやロクショウグサレキンなどは樹皮が剝がれていても平気で発生するのに対し、ナメコは樹皮が付いている樹木の樹皮部分か、それとも樹皮が剥がれていても、それに近い部分などから発生しています。
ここからは想像になりますが樹皮の下に形成層があり、そのまた下に木部がありますが、菌類たちは樹木の中に居場所を求めるために、まずは樹皮の下に潜り込み、少しずつ木部に侵入していくのではないか?と考えています。また、子実体を発生させる際にはこの樹皮の下で子実体を発生させるための「準備」を行うのではないでしょうか?
つまり菌類にとって樹皮とは樹木に侵入する際の起点となるような場所であり、また樹木から旅立つための起点となるような場所でもありそうですね。

木が死んだというのは「木の水分量が減少した」というシグナルによって、さまざまな生き物に伝わります。
ここから、木を食料としている生き物や、それらの生き物たちを食べている別の生き物たちの戦いの火ぶたが切られるのです。
まずは内生菌という、木がまた生きているうちにその組織の中に入り込んでいる菌類がいて、そのシグナルを受け取ると直ぐに行動を始めます。このグループの代表的なのが子嚢菌類のアナモルフと呼ばれているものたち。こいつらは最初の甘い汁(篩管液に含まれる低分子量の糖分)を吸いつくしたのちにさっさと分生子を作ってそこから旅立っていきます。
他の菌たちに比べてあまり戦いには強くないのでしょうか?(笑)
ただ、内生菌の中にも分解力のあるものもいて木が枯れてもしばらくはその中にいて木を一生懸命分解しております。例えばマメザヤタケやシトネタケ属のものなどがそれに該当し、倒木などの表面をよく見てみると黒くなっていたり、指みたいなものが出ていたりしますね。
そいつらは元々は内生菌として生活していたものが、枯れた後も居座っているのです。
そして、空中から落下傘の様に降りてくるやつらが出てきます。
もちろん枯れ木をめがけて降りてくるわけではなく、たまたま降りてきたのが枯れ木だった、ということになりますが。
ともあれ、降りてきた胞子が発芽したのち、徐々に木の内部へと入り込んでいきます。
すると、枯れ木の中で安穏と暮らしていた菌類にどっとざわめきが起きます。
やつらが来た!
と。
そう、この様に空中から攻め入ってくるタイプの菌類は強い菌が多く、安穏と暮らしていた弱い菌たちを駆逐できるような強い分解力をもったタイプなので、こいつらが攻め入ってくると弱い菌たちはそそくさといなくなっちゃうのですね。
ブナの倒木などを見に行くと、凄い量のツキヨタケが発生しているのを目にします。
台風などで木が倒された当初はあまりキノコは発生していませんでしたが、3~4年ぐらいでしょうか、、ツキヨタケがあるなぁ、、と思ったらみるみるうちにツキヨタケが鈴なりで発生するようになりその「恐ろしさ」を目の当たりにすることになりました。
そして空中だけではなく地中からやってくるやつらもいます。
地中からどうやって攻め入ってくるのでしょうか?
それは
菌糸束
という菌糸を何本も束ねて、その周りを固くコーティングした、まるでLANケーブルの様な形態をしたものを武器にして、木の内部に入り込んでくるのです。
樹皮の柔らかい部分や欠けた部分から樹皮内部に侵入し形成層まで達すると、そこから横に這いこんで行って木部の中を侵食していくのです。
代表的なものとしてはナラタケ。
こやつらの侵食能力は非常に高く、黒い根状菌糸束を使って倒木を羽交い絞めにしている様な姿をよく目にします。
この様に、木が死んだ、というシグナルを発端にして菌が侵入し、何年、または何十年もかかって倒木は粉々に分解されていくのです。
その間、さまざまな菌類がそこを住居とし、または食料として生活しています。
その菌たちの移り変わりを「菌類遷移」と言って実にさまざまな菌類たちが同居し、あるいは戦いながら生活を送っているのですね。
1本の倒木にどれぐらいの菌類が居住していたのだろう?
これはほぼ計測は不可能だと思われます。
しかし1枚のブナの落ち葉にどれだけの菌類がいたか、を計測された方がいます。
大園享司さんです。
大園さんの著書「生き物はどのように土にかえるのか」の中で1枚のブナの落ち葉を調べると
25種のキノコと、104種ものカビがみつかりました。
とあります。
いいですか?1枚の落ち葉ですよ!!
ということは1本の倒木からはどれぐらいの菌類が住んでいるのかを想像できますよね?
それは「計測不可能」ということで良いでしょうか?(笑)
そうです、樹皮を人の手でベリベリってめくることは、その中で生活している何十、何百種類もの生物たちがその生活を脅かされている、っていうことなのです。
そして、今その時に生きている生物たちだけではなく、その後に移り住むべく生物たちの住処をも奪っていることになるのです。
枯れ木は山の賑わい

森を歩いているとこんな光景を目にします。
キノコ好きにとっては最もテンションが上がる場面です。
キノコに関心がない時は倒木はまさに「単なる枯れ木」でしかありませんでした。
しかしキノコを知ること、そしてキノコから派生してその周りに生き物が見えてくると、倒木というのは単なる枯れ木ではなく、森を形作っている輪の一部だということが見えてきました。
倒木も大切な大切な森の一部なのです。
ここまで、植物目線、粘菌目線、キノコ目線と視点を変えながら枯れ木を見てきましたが、それ以外にもバクテリアや動物、そして注目の昆虫などもこの枯れ木に依存して生活していること付け加えておきます。
今回の主題が材割りということですので、材割りによってクワガタがいなくなってもらっては困る、、という人が検索で引っかかってこの記事を読みに来ているかもしれません。
クワガタの幼虫はご存じの通り「菌糸ビン」というところに入れて育てるのが一般的です。
つまりおがくずなどに菌を感染させて、おがくずを分解させて、分解された成分をクワガタが食べているのですね。
枯れ木の中もこれと同じように、木材腐朽菌によって分解されることなしにクワガタの幼虫が食料を得ることは難しいです。菌類が木材の成分を分解するからこそクワガタたちはそこに住むことが出来るのです。
そう言えば材割りで検索しているとあるブログにヒットしてその記事のコメントで
「オオクワガタが激減しているのは材割りなどしてるからじゃないでしょうか?未来の子供たちのためにこういうことはすべきではない」
と書いている人がいたのですが、そのコメントに対して著者が
「オオクワガタが激減しているのはソーラーパネルなどで木を伐採するなど環境破壊によるものが原因である」
と返していた。
確かに森をソーラーパネルや宅地などにすることで一挙に環境破壊は進むし、連続していた森を分断するだけで住める地域が限定されてしまった生き物たちもいる。
なので、オオクワガタが激減しているのはその確率が高い。
しかし、、
だからと言って材割りを全肯定していいものだろうか?
先にも書いた通り、例えば研究目的の材割りや、知識欲のための材割りを否定するつもりない。
しかし、個人の保持欲や顕示欲のために倒木を破壊する行為は果たしていかがなものでしょうか?
ご本人や周りのコメントしている人たちからは微塵も反省の色は見えていない。
むしろ
人の趣味にケチ付けるな、、
とのコメントも、、
僕はこの発言を読んで「あ~あ、だからクワガタ採りは・・・」となった。
まぁ当然ごく一部の人たちの話だと思いますし、今はどうなのかは分かりませんが、Youtubeの動画などが堂々とアップされ続けているという事はまだまだこの類の人たちが悪い意味で活躍している、という事でしょう。
良心の欠片も、クワガタに対する愛もない、単なる利己的な人間、なのでしょう。
しかし、いつかはこの様な材割りという行為が無くなる、ということを期待してこの記事を書いています。
材割りが無くなる=倒木が無くなった
ではないことだけを祈って。
「ナウシカより」
クシャナ「腐海の毒に侵されながら、それでも腐海とともに生きるというのか?」
ギックリ「あんたは火を使う。そりゃあ、わしらもちょびっとは使うがの」
ゴル「多すぎる火は、何も生みやせん。火は森を一日で灰にする。水と風は100年かけて森を育てるんじゃ」
ギックリ「わしらは水と風のほうがええ」
『参考』
深澤 遊著 キノコとカビの生態学 枯れ木の中は戦国時代(共立出版)
「人為的に剥皮した原木からの子実体発生量について」岩手県林業技術センター 研究成果速報