家守綺譚(いえもりきたん)

『家守綺譚』 梨木香歩

≪以下引用≫

 さて松茸である。
 まだ学生の頃、友人と連れ立って松江まで行く途中、丹波の友人の実家で松茸狩りをしたことがある。松茸狩りはそれ以来だが、吉田山を散策中にそれとおぼしきものを発見、匂いもたぶん間違いなかろう、というので食うてみたら違っていた。そのときは一両日の腹痛だけですんだが、あれは猛毒の何とかいう茸で、松茸とは似ても似つかないではないか、しかも腹痛だけですんだとは、ずいぶん野蛮な内臓であると、菌類が専門の友人から馬鹿にされた。それ以降茸の判別には多少自信を失っている。しかし和尚がああもしっかり裏山に出ていると断言したのだから、まあ、間違いなかろう。たとえ間違えたにしても、食べる段になって和尚がそれは違うと云ってくれるだろう。
 松茸というのはこういうところに生えるのだ、とゴローに云って聞かせながら、足先で赤松の根方の、腐葉土の積もったところなどを掘ってみせる。すると黒っぽく丸い、明らかにきのこの仲間ではあるのだが、松茸とはとても言えない何かが飛び出してくる。茶色い粉など吹きながら。
これは松茸、ではない。念のため、ゴローに断っておく。ゴローは最初から興味はなさそうにしていたのだが、ふいっとそばを離れると、どこかに消えてしまった。仕方がない、こうなれば自力で何とか、と目を皿のようにして辺りを見ていると、今行ったはずのゴローが帰ってくる。一匹ではない。連れがいる。犬ではない。人のようだ。尼さんだ。なんだか足元がふらついている。

 ――具合でも悪いのですか。
 思わず声を掛ける。
 ――苦しいのです。吐き気がして。頭が割れんばかり。
 ――大丈夫ですか。
 おろおろして思わずそう云ってしまったが、馬鹿なことを云っていると自分でも思った。見るからに大丈夫ではないし、本人もそう訴えているのに。

≪引用終了≫

梨木香歩。はじめてこの人の文章を目にした時、「こんなにきれいな文章を書ける人がいるんだ」と衝撃をうけたのを覚えている。それ以降、さほど多くない読書量の中で、新しくいくらかの作家さんの文章に触れてもきたけど、その印象はいまだ変わらない。すなわち、梨木香歩よりきれいな文体を持つ人に会ったことはない。もっとも、今の私にはこの文章は純度が高すぎて、一度にたくさん読むのがしんどいのだけど。えーと、酸素濃度がめちゃめちゃ高い空気を吸い続けるようなイメージで。

『家守綺譚』は明治か大正あたりの時代の京都のはずれ(たぶん山科あたり)を舞台にした小説。書生上がりの貧乏作家・綿貫は、とある一軒家の守りとして、そこに仮住まいをすることになる。ある雨の夜、掛け軸の中から今は亡き親友が訪ねてきて……というお話。数ページずつの小さな章建てになっていて、それぞれの章に草花の名が冠されている。それぞれの話はその草花が鍵になるという、植物に造詣の深い作者ならではの構成。作中でカッパやら狸やら、もののけの類が出てきても、ごく自然に受け入れられてしまう雰囲気が心地よい。

引用したのは『ホトトギス』の章。松茸のほかにキノコが2種類登場していて、それを想像してみるのがおもしろい。

間違えて食ったのはカキシメジ?でも似ても似つかないで猛毒なんだったらコテングタケモドキも範囲内かも……とか、松林にある黒っぽくて半地中の腹菌ってなんだろう、ああ、でも落ち葉に隠れてただけかもしんないから、どの線もあるな……とか。

キノコは動物でもなく植物でもない境界線上の存在なので、人間界ともののけ界、ないし、あっちの世界?との境界が曖昧なこの物語の世界観にふさわしいんでしょうな。

まあストーリーとかはさておいても、私が惚れこんだのは、この文章の「音」の流れの気持ちよさなので、そういう視点で引用文をもう一度読んでみてくださいーな。めっぽう朗読向けなのであります。

「月刊きのこ人」(こじましんいちろう)2012年01月16日に掲載分を再掲載

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